AI時代の大逆転 / 第15話
PART 04 · 自由の五資産
筋トレから身体資産を考える

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画面の中では、いろいろなことが速くなる。文章の下書きができ、資料が整理され、昨日まで時間のかかった仕事が短くなる。その一方で、画面の前に座っている自分の身体には、その速さと違う時間が流れている。疲れを感じたり、休みたくなったりする自分を、仕事の進み具合だけで測ることはできない。
投資を判断の稽古として考えた前回に続き、今回は筋トレを入口にしたい。私の習慣の中にも、筋トレやダンスがある。身体を使う時間は、お金や仕事の成果とは違うところに、暮らしの支えをつくる時間でもある。自由の五資産に身体資産を入れているのは、そのためだ。
身体資産と聞くと、筋肉の量や運動能力を思い浮かべるかもしれない。もちろん、できる動きが増えることは、喜びになりうる。ただ、私が考えたいのは、その人が自分の身体とどう付き合い、どんな毎日を送りたいかである。身体の見た目や強さを、人間の価値の物差しにする必要はない。
たとえば、何かを始めようと決めたとき、理想的な計画を先につくることがある。週に何回、どのくらいの時間をかけ、どこまでできるようになるか。計画は出発点になるが、実際に暮らしてみると、仕事が長引く日も、家族の用事が入る日もある。紙の上の自分と、今日の自分はいつも同じではない。
そこで、今の身体の状態や生活に合う形へ調整する必要が出てくる。続けるつもりだったが、今日は休む。思ったより負担が大きかったので、やり方を見直す。こうした選び直しも、実践の一部である。最初の計画を守り抜くことだけを目標にすると、自分の状態を受け取る余地が小さくなる。
筋トレは、その違いに気づく一つの入口になる。何をしようと思ったか、実際にはどうだったか、次はどうするか。小さな記録があれば、気分だけで「何もできていない」と決めつけずに済むこともある。回数や重さに加えて、そのときの負担や感覚も、自分の実践を考える材料になる。
ただし、同じ取り組みを全員に配ることはできない。年齢、体調、病気、障害などによって、できることも必要な支えも違う。身体に不安があれば、専門家に相談することも含めて考える。筋トレを三つの実践の一つに置くのは、全員に重いものを持つよう求めるためではない。
身体をいたわること、無理のない動きを見つけること、必要な援助を受けることにも、身体資産を考える入口がある。自分一人で何でもできる状態だけを自由と呼ぶと、多くの暮らしが見えなくなる。人や道具に支えられながら、自分の希望に沿う時間を持つことも、大切な自由だと思う。
この実践には、投資と重なるところがある。人の成果を見て焦り、自分の条件を忘れること。すぐに変化が見えず、やめたくなること。予定通りに進まないとき、何が起きているかを確かめること。扱う対象は違っても、比較や感情との距離を取り、自分の判断へ戻る練習になる。
AIには、記録を整理したり、自分が続けやすい時間を考える手伝いを頼んだりできるだろう。ただ、画面に示された計画より、今の身体の状態を大切にしたい。便利な道具が増えるほど、すべてを予定通りに進められる気になる。そんなときにも、自分の側から予定を変えられる余地を残しておきたい。
そもそも、身体を育てる時間を、もっと長く働くためだけに使う必要はない。出かけたい場所がある。好きな音楽に合わせて動きたい。家でゆっくり過ごしたい。その願いは、人によって違う。身体資産が何を支えるのかは、生活の中にある本人の楽しみや、望む過ごし方から考えたい。
私は、自由を完成品として手に入れるよりも、日々の習慣の中で育て続けるものと捉えている。その習慣には、休むことも、助けを借りることも入っていてよい。自分の状態に耳を傾けていると、今度は、自分が何を感じ、何を大切にしたいのかを言葉にしてみたくなる。次は、その考えを外へ出す実践へ進もう。
参考資料
前田英志「自由学研究ノート No.004 自由は、才能ではない。習慣である。」
https://note.com/fin_fhi/n/n22373477b24a
前田英志「自由の五資産」
