AI時代の大逆転 / 第10話
PART 03 · 学びと判断
読み書きそろばんはもう古いのか

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文章はAIが書き、計算はコンピューターがする。わからない言葉も、その場で説明してもらえる。それなら、読むこと、書くこと、数字を扱うことに、これまでと同じ時間をかける必要があるのだろうか。教育を考えるとき、避けて通れない問いだと思う。
私は、読み書きそろばんを手放してよいとは考えていない。ただし、それを身につけたら学びの目的を達成した、とも考えていない。道具が多くの作業を助けてくれるなら、その力を使って何をするかへ、学びの重心を大きく移せるはずである。
読む力から考えてみたい。AIが長い資料を短くまとめてくれても、その要約で何が省かれたかは気になる。契約の説明なら、料金だけでなく利用条件が大切かもしれない。自分が知りたいことに照らして読み直すには、言葉の意味や文章のつながりを捉える力が要る。
しかも、知識があるから浮かぶ疑問もある。売上と利益の違いを知っていれば、「売上が増えた」という説明だけで喜んでよいのかと考えられる。何を知らないかに気づくためにも、頭の中にある知識は働く。いつでも検索できることが、その働きを消すわけではない。
書くことにも、完成した文章を人へ渡す以上の意味がある。理由を一度言葉にすると、考えていたつもりの部分が曖昧だったとわかる。「この方がよい」と書いてから、誰にとって、どんな点でよいのかを考え直す。書きながら、判断の形が少しずつ見えてくる。
AIに下書きを頼むことはできる。それを読んで、自分が言いたかったことかどうかを確かめ、違うところを直す。このやり取りでも、自分の言葉を持つ力は使う。きれいな文章を受け取るだけで終わるか、考えを磨く機会にするかで、学びの中身は変わる。
そろばんという言葉で表している、数字を扱う力も同じである。計算の速さだけを競わなくてもよい。しかし、一割の値上げと一割の利益増加は違うとわかることや、平均の数字だけでは見えない差があると気づくことは、暮らしの選択に関わってくる。
例えば、二つの料金プランを比べるとき、月額だけでなく、自分がどれくらい使うかを置いて計算する。答えを出す作業は道具に任せても、何を比べるかは考えたい。数字にしたら判断が変わった、という経験を通して、計算を学ぶ理由も実感できる。
日本の学習指導要領も、知識や技能だけでなく、思考力、判断力、表現力などを育てることを掲げている。だから、これまでの教育を丸ごと古いものとして捨てたいわけではない。蓄えてきた基礎の上で、自分の問いに使う時間を、もっと豊かにしたいのである。
そのためには、基礎を全部終えてから実践へ進む、という順番だけにこだわらなくてもよい。何かを選ぼうとして数字でつまずいたら、そこを学び直す。考えを伝えて通じなかったら、言葉を練り直す。実践と基礎を行き来する学びなら、戻ることにも意味がある。
学び直す速さは人によって違う。文章を読むのに時間がかかる人が、読み上げや説明の助けを使ってもよい。大切なのは、全員を同じ手順で競わせることより、自分の選択に参加できるようにすることだ。その入口を広げるためにも、AIを使いたいと思う。
私が組み直したいのは、覚える内容を少し増やしたカリキュラムではない。読める、書ける、計算できるという力が、自分のお金、身体、考え方に働きかける学びである。基礎が生活の中で動き始めたとき、その先に何を育てたいかも変わってくる。
読み書きそろばんは、そこへ進むための大切な土台になる。そして土台があるからこそ、その上で行うことは大胆に変えられる。答えを覚えて示す時間から、自分で問いを持ち、選び、結果を見て考え直す時間へ。その転換を、次の学びの中心に置きたい。
参考資料
文部科学省「育成を目指す資質・能力と個別最適な学び・協働的な学び」
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/senseiouen/mext_01490.html
