AI時代の大逆転 / 第06話
PART 02 · 仕事と社会
給料は、能力だけでは決まらない

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スポーツが上手になることと、そのスポーツで生活できることは、同じだろうか。練習を重ねれば、以前よりよく動けるようになる。しかし、その上達に応じて、必ず収入が増えるわけではない。この違いには、仕事を考える手がかりがある。
選手の収入には、競技の技術だけでなく、観客がどれだけいて、興行にどれだけのお金が集まり、どんな契約で分配されるかが関わる。同じように努力し、高い技術を持っていても、競技や活動する場所によって、得られる収入は違いうる。努力の量だけでは説明できないのである。
経済学者ローゼンは「スーパースターの経済学」で、少数の人に大きな収入が集まる仕組みを論じた。優れた人の仕事を、多くの人が受け取れる市場では、小さな能力差が大きな収入差につながりうる。本人の能力と、その能力が届く市場の広さを、一緒に見る必要がある。
出場する席の数もある。強い選手が増えても、一つの試合に全員が出られるわけではない。競技の水準が高まることと、高い報酬を得られる席が増えることは別なのだ。参加する人が広がりながら、目立つ報酬は少数に集まる。そんな形も成り立つのである。
AIが広がる仕事にも、似た構造が現れる可能性はある。たとえば、AIを使う少人数のチームが、大勢の顧客に高い水準のサービスを届けられるようになったとする。仕事に参加するための道具は広く使えても、大きな案件や顧客が、そのチームに集中するかもしれない。
その場合、一定の技能を持つ人が幅広く報酬を得ていた仕事が、限られた高報酬の席を争う仕事に近づく可能性がある。これは、ホワイトカラー全体がそうなるという予言ではない。顧客が誰を選ぶか、サービスをどこまで広く提供できるかによって、起こりやすさは変わる。
反対の力もある。価格が下がり、これまで利用できなかった人が顧客になれば、仕事そのものが増えることも考えられる。地域の事情や個別の要望に応える、小さな仕事の場が広がるかもしれない。AIが高報酬の集中を進める力と、新しい参加の余地をつくる力は、両方見ておきたい。
ここで、必ず分けておきたいのが、市場で能力につく値段と、人間の価値である。報酬が下がったからといって、その人の尊厳や積み上げた人生まで小さくなるわけではない。誰かを支えてきたことも、誠実に仕事をしてきたことも、給料の数字だけで評価できるものではない。
ただ、生活費は必要だ。だから、「お金より大切なものがある」という話だけで終わらせてもいけない。技能を磨くと同時に、自分の仕事に誰が支払い、何に価値を感じ、どのように取り分が決まっているかを見る。能力の外側にある仕組みを知ることも、備えになる。
会社員なら、AIで生まれた余裕を何に使い、どんな成果として認めてもらえるのかが大事になる。作業が速くなったことだけでなく、顧客の問題が解けたか、仕事が前へ進んだかを考える。一人では変えられない評価や配分の仕組みについては、組織や制度の側からの対応も必要になる。
全員がスーパースターを目指さなければならない、と私は考えていない。競争を続けることが好きな人もいれば、生活を支えながら別のことに時間を使いたい人もいる。収入の最大化だけを人生の目的にせず、どのくらいの備えと、どんな働き方が自分に必要なのかを考えてよい。
スポーツには、報酬を得なくても続けたいという楽しさもある。上手になる喜び、仲間と過ごす時間、身体を動かす心地よさ。その価値は、プロの席に届かなかったからといって消えない。仕事の市場価格を考えるときにも、人生のすべてを同じ物差しで測らない余地を残しておきたい。
能力を磨けば安心、というだけでは足りない時代には、能力が生きる仕組みも見る必要がある。このことは、会社にも当てはまる。必要な能力を少人数で使えるようになったとき、大きな組織が持っていた強さには、何が起きるだろうか。
参考資料
Sherwin Rosen「The Economics of Superstars」(American Economic Review, 1981)
https://jenni.uchicago.edu/econ341/readings/Rosen_1981_AER_v71_n5.pdf
